セックスレスが最近増えてきたように言われています。
考えてみれば、昭和の時代でも、戦前でも、江戸時代でも、セックスレスは普通にあったはずです。
それにセックスしていても、子孫を残すための活動がメインであって、今ほど快楽を重視していたとは思えません。
貴族や武士のような上流階級はともかく、一般の人々は毎日の生活が大変なくらいでしたしね。
なぜ今の時代になってこれだけセックスレスが話題になるかといったら、情報化社会によって「セックスは気持ちいいもの」「セックスで快感が得られないともったいない」という価値観が広く伝わったからだと思います。
セックスで強い快感を得ている人がいるというのを聞くと「私も感じたい」と思います。
周りでイッたかどうかが話題になると「私もイキたい」と思います。
充実したセックスをしている夫婦がいるというのを聞いて「私もそうなりたい」と思います。
これらはごく自然な感情ですが、もともとそういう情報が耳に入ってこなければ不満に思うことさえなかったはずですよね。比較しようがないですから「どこもこんなものだ」と思うでしょう。実際、そう思っている人は今でもそれなりにいるはずです。
いろいろな情報が手に入るようになったことで、今まで知らずに済ましていた情報にふれることができるようになった代わりに、今までなかった願望や欲望を呼び起こしてしまったわけですね。
はたして幸せになったのか不幸になったのか…微妙なところです。
確実に言えるのは、時代がそうやって動いている以上、もはや後戻りはできないということです。
充実したセックスを得たいという願望・欲望が生まれた代わりに、充実したセックスを得るための情報も手に入る世の中になったわけですから、その中で努力するしかないということですね。
うまくいけば知らずに死んでいった時代よりは幸せになれるかもしれませんが、失敗すれば知らずに済んだ時代のほうが幸せだったということになるでしょう。
なかなか厄介なことです(苦笑)
前回も書いたように、普通の夫婦が努力もしないで自然の流れに任せたら、そうなっても仕方ない面があります。これが昔だったらお互い「そういうものだ」と思って過ぎていったわけですが、今は「これはおかしいのではないか?」と思い、「どうも他とうちは違うぞ?」ということに気づいてしまい、セックスレスを解消する具体的な行動…場合によっては浮気や不倫などに手を出してしまうわけです。
努力すれば防げると思いますが、勉強するのもなかなか難しいですし、何より他の相手を探すほうが簡単ですから、そちらに安易に流れる人のほうが多くて当然です。
(実際、離婚数・不倫数ともに増え続けていますよね)
だからこそ、こういったブログでよりよいセックスができるように努力していく人が増えることを願って活動しているわけですね。(客観的に指摘するだけで何もしないようだと、単なる口先だけの人間になってしまいますから。^^;)
私が言いたいのは、「結婚をする」という決意をするのと同時に「その相手とはセックスレスになる可能性が高いから、それを防ぐ努力をしなければいけない」という覚悟も必要だということです。ちょっと大げさですが、可能性としてはそこまで考えておく必要があるんですね。
結婚するときは幸せいっぱいでそんなことを考えている人はいないでしょうが、これが現実だと思います。まぁ実際は、セックス以外にも覚悟するべきことは山ほどあるわけですが(笑)
また、結婚は恋愛の延長上にあると考えられていますが、それはごく最近の風潮にすぎず、もともと恋愛と結婚とは全く別のものでした。「恋愛結婚でなければ結婚しない!」なんていうのは、一部のメディアや企業の誘導に無意識のうちにはまっているだけで、別に正解でも何でもありません。
お見合いだって1つの形ですし、結婚してから育まれる真実の愛もあります。
個人的には「好きだから」という理由で、それが本当の恋愛かどうかも定かでないうちからほいほいと安易にセックスする現代的なカップルよりも、お見合いで真剣に相手を探す人たちのほうが好感が持てます。(このブログの読者に、前者のような安易な人は少ないと思いますけどね)
繰り返しますが、恋愛と結婚は全く別のものです。
どれだけ運命的な出会いで素晴らしい恋愛をしても、結婚してからうまくいくかどうかは別問題です。
恋人同士として相性がよくても、夫婦として相性がいいとは限りません。
その視点に立った上で、それでもあえて「結婚は恋愛の延長上であってほしい」と願ってするのが恋愛結婚です。
逆に「恋愛よりも結婚生活の成功を重視したい」と願ってする、いわば打算のような結婚でも決して間違いだとは思いません。
最近増えている、それをさらに強化したような「結婚後に別の異性と理想の恋愛をしよう」とする行為も否定し切れません。その夫婦がお互いに恋愛と結婚を別のものだと割り切ってしたのであれば、家庭を壊さないようにだけ気をつけつつ、理想の恋愛を探すのもありなのかもしれない…と思うわけですね。
それが正しいとか自分がしたいとかではなく、そういう価値観もあるんだろうなということです。好きで結婚して結局お互い傷ついた上に離婚して、子供までそれに巻き込まれるのとどっちがいいかと言われたら…難しいですからね。
(どちらがいいのかは私には分かりませんし、それを議論するつもりはありません。あえて言うなら、どちらも1つの現実だと思います)
最近多い、何でもかんでも「好きになったから付き合ってセックスして、相性がよかったら結婚する」なんて行動をしていては、結婚が失敗するのも仕方ありません。それは運任せのバクチみたいなものですからね。
「付き合ってみないと相性が分からない」なんて理由をつける人が多いですが、仮に付き合ったとしても結婚後の相性なんて分かりません。恋愛中の相性がいくらよくても、結婚後の相性を判断するにはあまり役に立たないですから。
あくまでも、結婚してからの相性がいいかどうかを見ないとダメなんですが、そこを見るために恋愛が必要かといったら、恋愛結婚で破局する人やお見合い結婚で成功する人がいることを見れば、必ずしもそうではないと思います。
大事なのは、人間というものをいかに深く理解できるかだと思います。そして自分という人間を深く理解し、その上で相手の本性をちゃんと見抜けるかどうかでしょう。
では「どうやって相手を見抜くの?」という話になりますが、こればっかりは完璧な正解がありません。人間の本質なんていうものはちょっと付き合ったくらいでは絶対に分かりませんし、何しろ結婚して50年以上たった夫婦でも「まだ相手の知らない面があった」と言うくらいですから、永遠に全てを知ることはできないのかもしれません。
何より、詐欺師などが本気で騙しにかかってくれば、それを見抜くのはほぼ不可能でしょう。私も確実に騙される自信があります。(信じやすい性格なので)
ただ、全てが分からなくてもある程度は見抜くことができるようになります。そのための1番の方法は、相手の外見や言動、性格や能力を見るのではなく、その奥に隠れた人間性を見るということです。
さすがに結婚ともなると見た目などの表面的な情報は除外する人が多いですが、相手の雰囲気、周囲の評判、過去の経歴、さらには家族構成、収入、職業、社会的地位といった、本来人間性とは関係ないところまで判断基準に入ってきますよね。私だったら普段の様子とか周囲の評判といった客観的なところを判断基準にしようとするでしょうが、それさえも全部操作可能なものばかりです。上手に見なければ上っ面しか見えてきません。
逆に言うと、相手のそういう部分まで見えてから、本当に好きかどうかを判断すべきだと思います。「なんかいいな…」で恋愛が始まるのは構いませが、それで付き合ってセックスして結婚して…では安易すぎるんですね。
今の若い人は「好きだからセックスする」「好きだから結婚する」と言います。もちろんその中には真実の愛もあるでしょう。でも、その後破局を迎えるカップルがかなりの数いるのも現実です。だからこそ、もう1歩踏み込んで考えてみるべきだと思います。「好きだから」なんていうとすごく正当な理由に思えてきますが、実際はものすごく浅い理由かもしれないんですね。
結婚とは、その相手を一生かけて守り抜いていく宣言です。(まぁ最近はすぐに離婚するわけですが)
本当なら、仮に気に入らないことが出てこようとも、そこも含めて愛し抜き、2人で乗り越えていくものですよね。
だから、ちょっと大げさと言われそうですが「この人のためなら本気で死ねる」と思えるくらいが、本当の「好き」だと思います。仮に2人のどちらかが絶対に死ななければならない状況に追い込まれたら、迷わず即断できますか? 極端すぎる例ですし、実際に相手のために死ぬ場面なんて今の日本ではまずありえませんが、私が言いたいのはそのくらいの思いの強さがあるかどうかということですね。
そういった思いで恋愛結婚したカップルなら、セックスレスなんて絶対に乗り越えられる、ちっぽけな問題のはずなんです。別に生死がかかっているわけでもないですしね。(もちろん、それでも乗り越えられない、別の様々な問題もあるとは思いますが、少なくともセックスレスくらいは乗り越えられるでしょう)
「いや、私は恋愛結婚なんて望んでいないよ」という人、それはそれで構わないと思います。愛が無いからこそ冷静に見れる利点はありますからね。でも愛が無いからこそ、すぐに投げ出してしまいたくなる可能性は高くなります。結婚において大事なのは愛情の有無もそうですが、それよりも大事なのは「覚悟」の有無です。仮に最初は愛情が無かったとしても、「今後、この人と一緒に生きていくんだ」という強い覚悟が絶対に必要です。
恋愛結婚だろうとそうでなかろうと、この覚悟だけは切っても離せないところなんですね。何かの問題…例えばセックスレスの問題が表面化してきたときも、そのときの覚悟を思い出して乗り越えるわけです。結婚生活なんて、いいことばかりのわけがないですからね。
覚悟とか重いのは嫌だ…という人も、今の世の中には増えています。そういう場合は、もっと軽いノリの結婚もありますし、上で出てきたような割り切った関係の結婚もあるでしょう。選択するのは自由です。
ただし、その選択の結果には責任が伴います。
結婚が人生最大のバクチだと言われるのも、あながち間違っているとは言えません。
何が正解か…それは後になってみない限り、誰にも分からないことですからね。
だからこそ、誰もが必死で悩んで判断するわけです。
本当の正解なんて誰も持っていませんから、自分の判断を信じて進むしかないんですね。
仮にその結婚が失敗に終わったとしても、人生としてみたら正解だった…なんてこともありえます。
それこそ、人生が終わるときが来るまで分からないことですからね。
…なんだか哲学的になってきました(笑)
なお、学生時代というのは、本来こういったことを考えたり悩み抜いたりするための大事な時期だと思います。勉強、部活、ファッション、恋愛、そしてセックスで忙しくてそんな時間もないのが今の学生でしょうが、本当ならそれらよりも優先されるべき時間です。
勉強、スポーツ、ファッション、身だしなみ…そういった全てのものは単なる素養にすぎず、それ自体は個性でも何でもありません。それらを通じて何を学び、どういった人間性を獲得していくかが大事であり、その過程で獲得した人間性こそが本当の個性です。
そうした個性や人間性を確立する前の、まだ中途半端な段階で結婚やセックスをしてしまう人が多い今の風潮を、私としては非常に残念に思っています。だって本当の恋愛は、そうやって努力の末に手にしたお互いの人間性を見てから判断すべきものですからね。その人の生き様を見ると言ったらいいでしょうか。お互いの人間性が確立される前に何を見ているのか分かりませんし、そんな早い段階で判断してしまうということはいくらでも誤解の余地があるということですから、後々うまくいかなくなったり後悔したりすることが出てくるのも仕方のないことなんですね。
恋愛やセックスの低年齢化が進んでいるのに、その一方で初婚年齢がどんどん高くなっているのは、それだけ失敗する恋愛が多いということですから。
何より、そういった深い部分にお互い共感できた者同士なら、恋愛だけでなく結婚生活もうまくやっていくことができるでしょう。少なくとも、セックスレスくらいの困難なら余裕でクリアできるはずです。
とはいえ、考えすぎると逆に何も行動できなくなってしまうので、恋愛しながら見つけていくのも1つの方法なんですけどね(笑)
それに、これはあくまでも私の考えてあって、人それぞれ考え方は違います。それこそ人間の数だけ考え方があるでしょう。
ただ、こういったことを考えながら恋愛するのと、何も考えないで恋愛するのとでは、後々大きな違いが出てきます。愛はとても大切なものですが、それゆえにマスコミでも日常でも愛という言葉が簡単に使われてしまい、そして「好きなら何でも許される」といわんばかりの最近の風潮に、「好きになる前提の“自分磨き”の部分が大きく欠けてしまっているのではないか」…という一石を投げかけてみたいと思います。
磨いた人間どうしだからこそ、お互い本当に深い部分で惹かれていくものではないでしょうか。磨く前から簡単にはじまってしまう恋愛が、はたして本当の愛と呼べるのでしょうか。磨かれる前の自分と、磨いた後の自分、どちらを好きになってくれる人が自分にとって本当の運命の相手でしょうか。
…そんなことを思います。
だから、あまりに低年齢でセックスすることはおススメしないわけですね。
若い人だと読んでも何のことか分からない部分もあるとは思いますが、少しでも心に留めておいてもらえればと思います。
長くなってすみませんでした。
すでにセックスレスになっている方たち向けの記事はまた次回書きますね。
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